2024年
11月19日~12月14日
ヒマラヤ遠征inIsland Peak
H沼、他2名+ポーター1名、シェルパ1名、クライミングシェルパ1名
摂南大学ワンダーフォーゲル部から初めてヒマラヤ遠征をしました。
【メンバー】
摂南大学からワンダーフォーゲル部当時4回生のH沼と関西大学探検部3回生のT島君、社会人42歳のK出さん、トレッキングシェルパのサンゲさん、クライミングシェルパのソナムさん、ポーターのチティースさんの計6人でした。ソナムさんはピークハント当日と前日の2日間だけお世話になりました。クライミング中、ポーターさんはB.C,で待機でした。

12月6日(金) アイランドピークピークハント、ドキドキの運命の日。

0時起床。体調はなんと100%。チョラパスは0やったけど、回復することができた。
朝飯はララ玉子麺。身に染み渡る。
服装をソナムに聞いたら上は薄ダウンを着ながらでも可とと。
1:30発。ベリースローだと言いながら、普通に歩かされる。ソナムは我らの班を気にせず、前団シェルパと話に夢中。真っ暗な中離され、現在地を見失う事も。
5800まで雪が無い。ここまでで脱落するパーティもいた。
アイゼンハーネスに履き替え、アックスを持ち、カチカチの雪を歩く。緩斜な所はセルフビレイ、急斜はハンドアッセンダーでユマーリング。
10分程歩いた所でアックスはいらないとデポさせられる。

それからはスタンスとセルフ、アッセンダーが要になる。1度登り返したら、アイランドピークの上部がどんと現れる。あと200mでピークだからあれは登らないだろうとでかすぎて一瞬ローツェと間違えた。
雪原を突き進むと空がどんどん明るくなる。核心部の3連続ユマーリングの始点で日の出が。

ここからはボロボロなフィックスロープに頼ってどんどん登る。

頂点に着いたら北方向にビクトリーロードが伸びる。ただ、ローツェからの風が強く、尾根の上に立たずにセルフをとりながら氷河湖側に体を置くのが無難。

ピークは広く、ローツェバックに写真撮影ができる。
様々な人とバグをして、満足してから下山する。

長いユマーリング地点は懸垂ですいすいと。3本もフィックスがあるが、中には末端処理されていないロープもある。
仲間が酸素不足で顔色が悪い。
雪原を越え最後のフィックスを越えるとイムジャ氷河湖がドンと。見ながらアイゼンやハーネスを片付ける。

落石の恐れが5300地点まであるので、そこまではヘルメット着用。
イムジャ氷河湖に下りるとポーターが迎えに来てくれた。安心感が半端じゃない。
BCに戻って片付けをしながら焼き飯を食べる。テント内は砂だらけだ。
各々のチェーンスパがポーターバックに入りパンパン。
イムジャをあとにして、ゆっくり歩いてチュクン。

ロッジ泊は暖かくて快適。
日記を書いて20時間ぶりに寝る。
山をやって良かったと感じた1日。
次の目標ローツェを目指して頑張ろう。
ピークハント前の出来事
11.24~27T島が腹痛
11.26 Island peakでBig avalanche発生の知らせ
11.27 Island peakで落石事故発生の知らせ
11.30~12.4 自分が腹痛
12月3日(火)ジンボチェ
天候の関係で登頂確率は5%だと告げられる
ジンボチェでvery famous climberのスペイン人アレックスさん(真冬のマナスルを登る人)から6日の早朝ならmaybe possibleだけど、5日はポッシブルとアドバイスを頂く。
5日の明朝に登高開始で、4日中にジンボチェからB.Cに進む事に決めた。

12月4日(水)チュクン
クライミングシェルパのソナムさんと合流。6日でも登れるよと告げられた。ソナムさんは今年30回アイランドピークを登っており、このガイドが終わればアマダブラムに登りに行くらしい。
なので、昼からゆっくり…とはせず、私達の装備点検。そして、ユマーリングと懸垂下降、セルフビレイの取り方など確認しにチュクンリーの坂で行った。
ハンドアッセンダーが必須装備となる。(カトマンズより日本で買うほうが安い)

12月5日(木)アイランドB.C
朝からガイドさん達の講習でチュクンの出発が昼飯後からになる。
2時間半ほど歩いてB.C。
B.C事情

テントとマットを貸してもらえる。寝袋やカバーは持参。意外とマットは厚く、持参する必要は無い。
B.C到着後、お茶やコーヒーを飲める。
お湯は上山直前にもらえる。
晩飯は18時からベジダルバート。
明朝飯はエッグララ麺。
下山後、各自のテント内で焼き飯を頂いた。
テントとマットは片付けずにそのままで。
チップを忘れずに。
2024.11.28~30時点
チョラパス越え

今回はタナカから東側に抜けた。けども、一般的にはロブチェから西側に抜けるのが良い。
タナカからは日が全く当たらず寒い。(腹が冷えて当日から3日間腹痛で苦しむ)
ロブチェからは緩やかな雪渓を登る。峠越えてからの下りはアイスバーンなどがあって少し危険。
ゴーキョ

ゴーキョ湖 1周できる。けども、南側が雪がずっと残っていて12本アイゼンとピッケルがあれば安心。反時計回りがおすすめ。(雪面のルーファイがしやすい)

【大まかな行程のまとめ】
11月20日にカトマンズに入り(四川航空で19日に関西国際空港を出発し、成都天府国際空港で13時間のトランジェット)、11月21日に麓のルクラ空港に着陸しました。
12月5日まではゴーキョリ(5,357m)、チョラパス(5,320m)、エベレストB.C.(5,350m)、カラパタール(5,643m)の順でトレッキングを兼ねての高度順応。

ピークハント当日の6日は午前1時30分にIsland PeakのB.C.を出発しました。
雪の残る所は標高5,800mから始まります。そこでハーネスを着け、ハンドアッセンダーとセルフビレイをフィックスロープにかけ替えながら登ります。繁忙期が終わった閑散期なのでロープが解れていて危なかったです。
午前8時に無事ピークを踏みました。頂上の風速は15mほどでした。
下山は雪の無い所まで懸垂下降とセルフビレイで下ります。午後0時30分にB.C.に下山しました。
予定していた予備日を使わずにルクラ空港に戻りました。予定では12月11日までの21日間のトレッキングでしたが、9日に終了してしまいました。

【天候】
乾期だったので好天に恵まれました。高度順応の時に1日だけ悪天、他は快晴もしくは夕暮れのみガスでした。
気温は麓で最低5℃、最高20℃ぐらい、Island PeakのB.C.は最低-20℃、最高0℃ぐらいでした。昼間は日差しで暑く感じる時があり、長袖1枚で過ごせました。
【費用】
シェルパさんに支払うトレッキング代(3食3茶、カトマンズ~ルクラの航空券、入山パーミッション、カトマンズトレッキング前後の宿泊、カトマンズトリブバン空港と宿までのタクシー込み)が2,100$、ネパールまでの往復航空券や現地での諸費用、チップ代、山岳保険などを含めて498,000円でした。
ネパールのほうが物価は安い印象があったので、クライミングギアをいくつか買おうとしました。けれども、円安とぼったくりで現地で購入したら高く感じ、日本でそろえたほうが良かったと思いました。

改善点・反省点
大きな外傷はありませんでしたが、11月30日からピークハント前々日の12月4日まで体調を崩しました。原因はチョラパス(5,320m)を越える時に腹部を冷やした事、気温が冷え込む早朝と夕暮れ時に散歩をし過ぎた事、食事、下痢による睡眠不足などです。
それによる体調不良が5日間続き、予定していた他の目的地のカラパタール(5,643m)は私だけ登れませんでした。
けれども、ピークハント当日は体調を最も良い状態に戻せました。
また、高山病予防の薬を正しく使わなかったです。予防時は1錠を半分に割り、晩と朝に半分ずつ飲む、高山病時は晩に1錠を飲まなければいけませんでした。
しかし、私は予防時に晩と朝に1錠ずつ飲む間違いをしてしまい、過剰に摂取し過ぎてしまいました。
この事から山行時の体調管理と薬の危険性を学びました。
まず体調管理のほうでは、特に冷えが体に堪えました。早朝から峠越えをする時に衣服とウエストポーチの間に隙間ができてしまい、その間から腹部を冷やしてしまいました。峠越えをした時は日の出時刻から3時間日陰を歩き続けていたのでとても寒く感じました。それから便の形が悪くなり、下痢にもなりました。
それからの対策としては食事に気をつけました。消化しやすい物を選び、ドーナツ1個を1時間かけて食べるイメージで咀嚼時間を長くしました。
その結果、徐々に快便に戻せ、体調が戻りました。
この事は今回のヒマラヤ登山だけではなくワンダーフォーゲル部の日頃の山行や高山での長期山行でも役に立てると思いました。咀嚼時間と冷えは今後部活動で意識して活かしていきます。
薬については、私は日本で全くと言っていいほど使っていなく、慣れていませんでした。高山病予防の薬は日本で認可されていない薬なので自己責任です。
当時、確かにK島君とK出さんよりも薬の減りが早く、副作用で他の人より痺れが強くおかしいなと思いました。
これから使用方法については特に説明書に沿いながら注意して摂取します。